2018/3.11 名取閖上のお地蔵さん安住の地へ
2018年3月11日。7年目のこの日、本設置された名取閖上の「寄り添いお地蔵さん」のもとで供養祭が行われました。
東に閖上湊神社と富主姫神社を祀る日和山、南に名取市の慰霊碑、西に震災を伝える場「閖上の記憶」、そして西に「寄り添いお地蔵さん」。名取の3.11を象徴する十字路の一角に本建立されたお地蔵さんへ、この日は本当に多くの方々が立ち寄り、手を合わせ、各々の気持ちで、思いで、頭を撫でていただきました。
わたしたちお地蔵さんプロジェクトからは、お昼の時間に合わせて山形名物芋煮を提供させていただきました。
お地蔵さんにふさわしい安住の地を得られ、大貫さんはじめ地元の皆さんが安心いただけたことが、当プロジェクトとしても何よりのことです。
閖上の方々の、様々な思いに寄り添い、立ち続けるお地蔵さん。この場所に、これからも多くの方に訪れていただけることを願います。
第10号広報紙の発行
第10号広報誌を発行致しました。
東日本大震災から6年目を迎える2017年3月11日。宮城県七ヶ浜町に9体目となるお地蔵さんが建立されました。
ダウンロードはこちら(PDF)→第10号広報紙(2017.4.1発行)
第9号広報紙の発行
第9号広報紙を発行しました。
2016年の8月。8対目となるお地蔵さんが岩沼市の千年希望の丘に建立されました。
ダウンロードはこちら(PDF)→広報vol9(2016.10.1発行)
宮城県亘理町・山元町に再訪問してきました。
発災当初の活動場所を再訪問し寺院・墓地・慰霊塔などで読経すると共に復興の様子の記録と、今後の活動のため現地の方々との面談等も行ってきました。
当初、東日本大震災の月命日にあわせて南三陸町に行く予定だったが、同行予定者の都合により延期となったため、急遽、6月11日(木)に発災後はじめて支援活動に赴いた亘理町と山元町への訪問を思い立った。
午前10時自宅を出発。村田ICから一般道を通るルートで亘理町の正福寺着。
ご住職とは約2年ぶりの再会となった。
平成25年に修復したという本堂にてお参り。
須弥壇にうっすらと残る津波の跡に、発災後はじめて訪れた時の様子がよみがえって背筋が伸びる。
次いで山門近くにある慰霊塔へ。平成24年のお盆に地元の石材店から寄進されたものだという。以前からこの場所にあったお地蔵さんも元どおりに修復して安置し、海に向かってお参りできるようになっていた。
心からの礼拝。
亘理町は、おおよそこの寺を境にして新築許可と不許可が分かれるそうだが、許可側の墓地の向うを眺めても修繕された家は数軒しかない。「いつになったら元通りになるのだろうか」と思うとうまく言葉が出ない。重苦しい雰囲気を変えようと「できることはないか」を聞き、たわいもない話をして笑った。
突然の訪問にも関わらず本当に丁寧に応対いただいた。ありがとうございます。
県道を通って山元町へ。普門寺と徳泉寺墓地でお参り。どちらもご住職は不在だった。
復興の様子を眺めながら福島県境まで行き、Uターンして亘理町まで戻る。
とにかく目につくのは雑草と防潮堤。山元町ではまだ水田を見られなかった。
県道のところどころに慰霊の角塔婆があり、どこにもきれいな花が供えてある。できれば早く落ち着いた慰霊の場所を整えてあげたいと思いながら、車を停めて手を合わせる。
遅い昼食のため、亘理町荒浜「鳥の海」へ。
今年3月にできたという商店街で昼食をとり、海産物を買いながらお店の方々と話をする。
山形から来たというと、皆「遠いところからありがとうございます」という。被災地に行くといつも感じる申し訳なさをまた感じた。
別になにもしてないのに…。
往路と同じルートで山形へ。
午後3時30分帰宅。
事務局 最上弘樹
宮城県名取市に6基目を建立!(平成26年6月15日)
6月15日、名取市では、亡くなられた911人のうち793人もの犠牲者が出た閖上(ゆりあげ)地区に6基目のお地蔵さんが建立されました。
今回の建立は、曹洞宗全国所長会からの募金が中心となったものです。
式典では、犠牲者と同じ数のハト風船が放たれ、参加者一人一人が名取市の花であるカーネーションを添えて追悼しました。イベントではタレントの山田雅人さんが、語りの世界「水島武蔵物語」を披露してくださいました。
宮城県亘理町で4基目の建立!(平成26年4月26日)
4月26日、吉田東部地区まちづくり協議会をはじめとする地元実行委員会の御協力を得て、4基目のお地蔵さんを長瀞小学校旧校舎跡地に建立しました!
建立式.では亡くなられた方々と同じ数の306羽のハト風船が放たれ、心からの祈りと願いを込めて追悼しました。童子地蔵には亘理町の德さんであるイチゴを乗せています。
山形県の大曾根餅つき保存会の御協力で餅つきが行われました。
宮城県東松島市に3体目の建立!(平成26年3月11日)
東松島市は、震災時、市街地の約65%が浸水し、1,109人もの方々が亡くなられました。
今回、野蒜地区に建立することになりましたが、この地区では498名もの犠牲者が出ました。
同市では、早い時期から実行委員会が発足し、石井典男実行委員長を中心に話し合いが続けられてきましたが、震災からちょうど3年目の3月11日に建立されることになりました。
当日は約200名の方々が参加され、亡くなられた方のご冥福を祈り、黙とうがささげられました。
阿部秀保市長、滝健一市議会議長、渥美巖宮城県議会副議長、鹿野道彦元農林水産大臣が挨拶をし、関係者による除幕となりました。
今回の建立で3体目となります。
東松島でもハト風船を飛ばしました。
きなこ餅と東松島産の大豆を使用した「野蒜納豆」による納豆餅も振る舞われました!
石巻市南浜地区に、1基目のお地蔵さんを建立しました
石巻市実行委員会会議
石巻市南浜地区、建立にあたって
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